PAST EXHIBITIONS

Past Exhibition

2018. 11 / 30  fri. ––– 2018. 12 / 30 sun

11:00 – 19:00  Close ( Tue )

三宅 砂織 | Saori Miyake

[ 白夜 ]

「白夜」によせて

 

2011年から2018年までに制作してきた2つのシリーズ「Abstract dislocation」と「The missing shade」から選んだ作品を、hakuの空間に合わせて構成しました。そして、「白夜」という展覧会タイトルをつけました。

 

白夜といえば、南極や北極に近い地域で夏に起こる、真夜中になっても日が沈まない自然現象ですが、昼は明るく夜は暗い日本に生まれ育ったせいか、わたしには、相容れない事物が予期していなかった形で共存する、神秘的で象徴的な風景に思えます。

それから、ドストエフスキーの小説『白夜』があります。この小説は何度も映画化されていますが、特にロベール・ブレッソン監督の作品が印象に残っています。

孤独な夢想家の青年が運河のほとりで出会ったナースチェンカという女性に恋をし、お互いに長い身の上話をすることになります。ある状況下に置かれた人間たちの振る舞いは、どんなものになりうるのだろうか。その時の偶発的な出来事は、あとから必然として思い出されるのだろうか。数日の間に出会い別れる物語から二人の声はあふれ出し、個々に存在したまま共振しているように見えます。

 

hakuという名の新しい空間でどんな展示をしようかと計画していたときに、このような諸々の事柄を想起しました。

 

「目は口ほどに物を言う」

 

目は口ほどに物を言う。頭の中と違うことを、耳当たりがいい言葉にして口から発したとしても、その時あなたの目は嘘をついていない、と思うことがある。写真とは嘘をつかないその目が捉えた一瞬のものである、と言えるならば、その人の視線の軌跡に一番近しいものと言うことができるであろう。そして、あなたと私のこの世界の見え方について、最も近い状態で共有することができるメディアであると言えるかもしれない。とはいえ昨今のSNS流行りで、タイムラインに流れる華やかな写真たちについて同様のことが言えるかというと、答えは残念ながらノーであろう。人からの視線を意識することのない写真は、携帯電話のアルバムの中に残る、SNSで更新対象にならなかった写真であり、少し前ならどこの家庭にでも一冊はある、写真アルバムの中に溢れた家族や恋人の間でのみシェアされるインティメイトな存在である。

三宅砂織の作品は、こうした公私の間を揺らぐインティメイトさを漂わせている。フォトグラムの作品を制作するようになってから、彼女の制作過程で重要となるファクターはまず、既にこの世に存在する写真である。自ら撮影したものも初期作品には見られるが、家族や全く知らない第三者のものまで、そこには誰かの視点がまず存在する。ただ、注意深く彼女の作品をひとつひとつ見ても、正面を向いてピースサインをする人が写っているような、撮影者と被撮影者との視線が交わるものが意識的に避けられていることに気づく。しかしながら撮影者の一方通行のこの視線こそ、ファインダー越しに目線の先の人と目が合い、判断を鈍らせることのなかった、純粋な視点が留められている。彼女は慎重にそうした写真を選び、それらを絵筆でトレースして描き(!)、コラージュ等の手法を加え写真というプロセスを利用して作品化しているのである。つまり目の前で見ているこれらの作品は、一見写真のようでありがならも、三宅の手で描かれた絵画、の影なのである。

 

 現代ではピンとくる人が少なくなっているかもしれないが、写真現像は暗室で明暗が反転した作業を行う。写真のフィルムを印画紙に焼き付ける時、黒い部分は影として印画紙上では白い部分となり、陰陽が反転する。つまり、三宅は手元の一枚の写真を元に、白黒反転させたヴィジョンを頭の中に持ち続けながら、目の前のフィルムに向かい筆を動かしているのだ。その時、三宅の頭の中と彼女の網膜に映る図像にはズレがある。そして彼女は目の前の二次元のフィルムに向かい、写真に写されている物事を追いかけるというよりは、図像としての白黒の世界と格闘する。それらが現像された時、文字通りブラックボックスから出てきた作品は、暗室である程度コントロールされて描かれたにもかかわらず、作家にとっても初見の存在となるのである。興味深いのは、モチーフとなる写真は誰かの視点というレイヤーがあり、その上に白黒反転させたフィルム作業というレイヤー、現像という完全コントロールの難しい、ブラックボックスとしてのレイヤー、という自らのコントロールを阻む要素の三層構造となっている点である。作品に漂う物語性とは真逆に、作家のこうした制作過程にストーリーテラーとしての側面は全く無い。むしろ、彼女はマジシャンのようにブラックボックスから出てきた作品が、本人の意思とは関係なく物語を帯びることを楽しんでいる。そして、その物語性を帯びた作品を目の前にした私たちは、そこからさらに作品に物語を読み取ることになるのだ。ここでは作品が既に5層構造になっていることに気づく。

さて、少年少女のころゲームの世界に少しでも触れたことのある人なら、ロールプレイングゲームを想像してみてほしい。ゲームをプレイする私は主人公勇者で、村の中で出会う人は村人Aであり、商人Aであり、それ以上でもそれ以下でもない。ゲームが終了するまで主人公勇者を中心にゲームが進行する。村人Aの身の上に何が起こっていようと知る由もなければ知る術もない。これらは現実のこの世界でも同様で、街ですれ違った人やコンビニの店員はいずれも他人であり、私という存在が思考の中心となり世界を捉えている。当然ながら精神上は世界の中心となり得るかもしれないが、私という存在がどうであれ、世界は私たちが思うようには動いてくれない。村人Aも商人Aもそれぞれに一言で語れないドラマティックな人生があり、彼らの視点からしたら、勇者は旅人Aでしかないだろう。近年オンラインゲームでは主人公ABCD...の複数人が同時にプレイするといった現実世界に近い状況のゲームができるようになった。仮想世界のロールをプレイしながらも現実世界同様に多様化する状況に対応することになり、コントロールが難しくなってきている。

この度の三宅砂織の個展では、初期作品から近作まで人も国も様々な写真を用いた作品たちが一堂に会すこととなった。勇者Aと旅人A、村人Aに商人Aが一堂に会す、と言うとふざけすぎていると言われるかもしれないが、本来隣り合うことのなかった者たちが偶然にも同席し、空間を共有することの奇遇、がすぐそこのカフェでも同様であることに気づき、その一瞬を留めるかのように彼女はこれらの影を作品として焼き付け残す。残された影は作家の手を離れ、観る者によって物語を加味されながらこの世界を歩き出すのだ。

 

                                        浅井ゆき 

Opening Reception

12.1 sat 18:00-

 

白夜話(ハクヨバナシ)

12.15 sat 17:00- / 18:00- (約40分間)

要予約|各会8名様限定

1000円(和菓子・お茶・記念品)

ご予約はご希望の時間、お名前、電話番号を明記の上、下記連絡先へお申し込みください。

haku.kyoto.japan@gmail.com

おいしい和菓子と温かいお茶、そして作者の三宅砂織とともに、本展を鑑賞する会を開催します。

それぞれの作品の成り立ちや、制作にまつわるエピソードなどをお話しながら、誰しもが秘める物語性や、その抽象性に思いを巡らすひと時を、みなさまと過ごしたいと思います。

 

和菓子製作:和菓子サロン一祥

https://www.wagashi-issho.com

京都で伝統的な和菓子作りが学べる、少人数教室。

安心できる素材と一回完結の丁寧なレッスンで人気を集めるサロン。

今回、「白夜話」のために特別に作られた和菓子をお出しします。

© 2020 by haku GG Co.,Ltd. 

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